築地市場を豊洲に移転する問題について、昨年8月に小池知事が移転延期を決定してから、色々な問題がでてきて、都議選を目の間にして様々な面で争点化されている。
今日もBSフジのプライムニュースでこの問題が取り上げられていた。
それにしても、司会の反町理は勉強不足にもほどがある。ひどかった。
賛成派、反対派それぞれの出演者も問題への理解が浅く、どうでも良いことを上っ面の
情報だけを垂れ流しているだけで、どうしようもない中身のない時間だった。
それぞれ、もっとまともに論理的に説明できる論客を立てないと、どちらも勘違いされる恐れがある。
結論からいうと、豊洲でも築地でも、私はどちらでも良い。
強いて言うならば、築地文化とブランド価値を守れるなら築地改修を支持する立場ではある。
ただし、築地改修は言うほど簡単ではなく、実現するためには以下の3つの条件が必須になる。
①豊洲の土地を3500億円以上で売却できること
②築地業者が現地改修で意思統一できること
③現実的に可能な改修プランと予算を議会で可決できること
どれも非常にハードルが高く、簡単ではない。
しかし、そのようにハードルが高い課題であったとしても、議論する価値は十分にある。
なぜなら、このまま豊洲に移転した場合に、過大な運営費によって市場会計が破綻するリスクがあるからだ。市場会計が破綻するということは、税金が投下されるということだ。
仮に豊洲に移転するにしても、豊洲移転後にどのように運営し、収益を改善できるかという議論と、築地改修案を競わせることは、それぞれのプランをブラッシュアップする上で非常に有効になる。
さて、多くのコメンテーターや消費者が勘違いし間違った情報を撒き散らしているが、市場に関する投資や移転延期費用は、全て「市場会計」として管理されているもので、税金をもとにした一般会計ではない。
市場会計は、業者からの家賃収入や売上変動手数料が主な収入だから、将来的には全て業者が負担するものだ。さも税金が無駄に使われているというような言い方をされることがあるが、全くの認識違いである。
だから、移転延期して1日500万円の維持費として税金が無駄に使われているという論は、大きな間違い。
それに、1日500万円ということは、365日で計算しても約18億円。
一方で豊洲に移転すると、減価償却費を除いたキャッシュフローが年間27億円の赤字という試算が東京都から発表されている。
つまり、移転を延期しているよりも、移転したほうが赤字額が大きくなるわけだ。
したがって、早く移転しないと税金が無駄になるという主張をしている人は、2つの点で間違っているということになる。
翻って、豊洲について考える。
5884億円という巨額を投じて立てた豊洲市場は、土壌汚染が完全に除去できなかったという事実とともに、使い勝手の問題も解決していない。仮に豊洲に移転することになったとしても、追加で投資が必要になることは間違いないだろう。
その額は、いったいいくらになるのだろうか?
その追加費用も含めて、市場会計は成り立っていくのだろうか?
豊洲問題の本質は、つまるところお金の問題なのだ。
・豊洲に移転するとして、あといくら追加投資が必要なのか?
・移転して永続的に経営が成り立つのか?
・市場会計の資金ショート対策をどう考えるのか?
豊洲移転のためには、この答えが必要なのである。
しかし、移転推進派は早期移転や築地の汚さをアピールするだけで、豊洲市場の運営費についての具体的な解決策は、一切でてこない。
これはいくらなんでも無理筋である。
4月27日に開かれた「第2回 市場のあり方戦略本部」では、東京都から市場会計の見通しについての説明があったが、他の市場の利益で豊洲の赤字を穴埋めするという計画になっていて、その数値見通し自体も非常に甘いものだった。これぞお役所的な都合のよい算盤の弾き方で、まるで話にならない。
不可解なことに、税金の使い方に厳しいはずの日本維新の会も、移転推進を主張しているにも関わらず、豊洲の運営費についての問題には無回答だ。
本来であれば、維新の会が先頭を切ってこの問題に切り込んでもらいたいくらいなのに、どうしてだろうか?
橋下さんにしても、足立さんにしても、小池知事のことを批判しているが、それこそ政局に利用しないで、豊洲問題の本質である「市場会計の継続性」の問題について、もっと明らかにしてほしいものだ。
もう1つの豊洲の問題。土壌汚染について。
確かに、土壌汚染対策法では、地下と地上をきちんと管理して区分けすることにより、安全性は担保されることになっており、そういう意味では豊洲は法律上「安全」である。
しかし、豊洲は食料品を扱う市場という特殊な用途であるがゆえに、さらなる「安心」を担保するために860億円もの汚染対策費をかけて除染し、2年間の水質モニタリングを経て「安心」を確実なものにしようとしていたわけである。
残念ながら、8回目の調査で基準値を上回るベンゼンが検出され、再調査でもその値が間違いないことが証明されてしまった。
2年間の水質モニタリングは、市場の移転に絶対必要なものでないと主張する人もいるが、ことはそれほど簡単ではない。
土壌汚染対策基本法に定められた形質変更時要届出区域に指定されている豊洲の土地を、その指定から解除するために行なっていたものであり、まさにこれこそが「安心」を担保すると説明してきた東京都が築地業者に約束してきたことだったため、全く無視できるものではないのである。
これを裏切った東京都は、もはや市場業者から全く信頼されていない。改めて説得するにしても、時間がかかるだろう。
とはいえ、一度は移転を決定していたくらいであるから、法律上安全であるという以上は、この点をもって移転を取りやめるということも難しい。
つまり、豊洲の安全性については「追加対策」と「都知事の安全宣言」を前提に、クリアできる問題ということになる。
だからこそ、問題の本質は「市場会計の継続性」になるわけだ。
ところで、「東京」という都市を考えた場合の「築地の価値」はどうだろうか。
そこには、観光拠点として価値、築地-銀座周辺の飲食店を中心とする経済価値、総合的なブランド価値など、単純な「市場」という以外にも様々な価値がある。
これらが無くなってしまう損失は、いったいいくらになるのだろうか。
本来の移転判断は、こういったことも全て計算するべき論点だ。
豊洲に移転するということは、市場会計の継続性という問題に加えて、築地の経済価値を失ってもそれを上回る価値を生み出すことを求められるというわけだ。
もう1つの論点。それは築地業者で移転推進派と反対派に別れている問題。
特に水産仲卸業者は8割以上が移転反対とのこと。
これはどちらが良い悪いではなく、それぞれの商売が、築地と豊洲でどっちのほうが儲かるのかという利害のぶつかり合いだから、調整は非常に難しい。
豊洲移転派の多くは、比較的規模の大きい業者。
だから豊洲に移転して物流機能を強化できると、より大きな商売ができると考えている。
一方で反対派の多くは比較的規模の小さい業者。彼らは規模ではなく質で勝負している。だから物流機能の強化はそれほど求めていない。少量でも、良いものを欲する客のために、良い目利きをして提供することが役割である。
豊洲は、市場というより「物流センター」と表現したほうが適切かもしれない。
だから、小規模業者が少量の買い出しにくることよりも、大手仕入れ業者がトラックで大量の品物を運びやすくすることを優先した構造になっている。
そして、その機能は一部の業者だけが恩恵に預かり、中小の業者の使い勝手は悪く、その客も利用しにくい構造とアクセスとなっているわけだ。これが使い勝手が悪いと報道されていることの問題の本質。
推進派の立場の人は、むしろ豊洲に移転したほうが使い勝手(とくに物流機能が強化)が良くなるのである。
この問題は根が深い。組合という曖昧な組織が意思決定に関わっており、それぞれも取引の関係から大手に口出ししにくい雰囲気もあって、これまではなし崩し的に進められてきた経緯もある。
最近は、「女将さん会」という女性たちの有志の団が立ち上がったようであるが、これが果たして行政の意思決定を覆すほどまでの動きになるかどうかは疑問である。
危惧するのは、いかにも共産党的な発想で、「デモ」をやろうなどと思わないことである。そんなことをしても聞き分けのない人たちというレッテルを張られるだけで、逆効果だ。
本気で豊洲移転を阻止し、築地の現地改修を実現したいなら、PTが提案している築地改修案をより現実的なものにしていくことに全力を注ぐことである。
そして、それがより具体的で実現可能なものになればなるほど、豊洲移転プランについても、運営費の見直しや安全・安心に対する改善策など、より良いものになっていくだろう。
おそらく、これが小池知事の本当の狙いである。
正直言って、市場関係者以外は、この問題に直接は関係ないのだから、豊洲だろうが築地だろうが、どっちでも良いのである。
しかし、小池知事の立場では、どちらを選択するにしてもその反対派から後で訴訟されても負けないだけの根拠を揃えておく必要がある。
したがって、PTでの様々な議論や意思決定のための材料集めは、どちらを意思決定するにしても必要な要件なのである。
繰り返していうが、移転延期費用は市場会計で賄われており、税金ではない。しかもその額は1日500万円ではあるが、豊洲移転した場合の赤字に比べれば2/3なのだから、早く移転を進める理由にもならない。
築地業者さえ納得するのであれば、1年でも2年でも、しっかり議論していけばいい。
東京オリンピックのたかだか1ヶ月程度のお祭りのために、100年継続するべき事業を犠牲にしないでいただきたい。
都民の1人として、切にそれを願う。