最近、幸せになるというのはどういうことだろうかと、ふと考える。
幸福の考え方は人それぞれ。
貧乏でも幸せだと思う人もいれば、金持ちでも不幸だと思っている人もいる。
同じような環境でも、その人の受け止め方によって幸福度というものは違ってくる。
一方で、世の中が豊かになる=幸せになる人が増える と定義すると、
豊かになるという指標を幸福度が増すということに置き換えることができる。
「何が」豊かになれば幸福につながるのだろうか?
人々の生活が?
経済が?
モノが?
心が?
しかし、これらは全てつながっており、どれか1つだけ豊かにできるというわけではない。
とにかくこれらを豊かにしていきたいという強い想いと努力こそが、この人間社会を発展させてきた原動力だった。
さて、そこで日本の現状を見てみたい。
この20年もの間、日本の1人あたりのGDPはほとんど向上していない。
つまり、日本人1人が産む出す社会的付加価値はこの20年間ほとんど上がっていないということだ。
これだけIT化や技術革新が進んだのにも関わらず。
これは、1990年ころまでは、何か「新しい価値を産み出す」ことによって世の中が豊かになったり便利になったりしてきた時代であったのに対して、それ以降の時代は
「新しい価値に置き換える」ことによって発展してきたからではないかと思う。
たとえば、昭和の家電三種の神器であったテレビ、冷蔵庫、洗濯機の登場と普及は、明らかに国民の生活を便利にし豊かになった実感をもたらしたが、根本的な付加価値はすでに40年前に達成されており、それ以降の商品は機能強化という代替えにすぎない。
この20年間で劇的な社会的変化をもたらしたものといえば、携帯電話とインターネットが挙げられるが、社会が圧倒的に便利になったと同時に、情報の壁と複写のコストが圧倒的に安くなってしまったため、社会的生産性は相殺されてしまったように思う。
インターネットを見るようになって新聞を読まなくなったとか、携帯電話の普及によって固定電話や公衆電話が減り、さらにゲーム端末の販売も減少してしまったとか。
いずれにしても、これからの世の中というのは、一部で革新的な技術や商品が生まれて普及したとしても、それは従来から存在している社会的機能の代替に過ぎず、そしてその機能が人間からその作業を奪うものであったとするならば、社会全体としては生産性が低くなるということを意味する。
これまでの人類は、”生き残るため”に社会活動を行ってきたわけだが、そういう時代が徐々に終わりを告げ、”人間らしく幸せを感じるため”に社会活動をするようにシフトしていく。
さて、そうなった時にいわゆる需要はどのように推移するのだろうか。
本来、生き残るためには必要のない需要を、わざわざ作りだす必要がでてくる。
ほとんど0でも困らない人もいれば、とにかく周りからは無駄と思われるようなことでもとめどなくやり尽くしてしまう人もでてくるだろう。
人は、今までに経験したことのないものやサービスに魅力を感じる。
その圧倒的な先進性に人々の興味と富が集中し、またさらに新しい革新に興味と富が移って行く。
Apple社の快進撃はまさにこの象徴と言えるだろう。
これからますますこの傾向が強くなるはずだ。
この先50年という時間軸で事業展開を考えるならば、このことを必ず念頭においておく必要がある。
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